1858年2月11日、ルルド村に住む14歳の貧しい家の少女ベルナデッタは、妹と友達の3人で
マサビエルの洞窟のそばを流れる川で、薪にする流木を集めていた。

川の向こう岸のマサビエルの洞窟の方へ渡ってみようと思ったベルナデッタは川を
渡るためにその場で靴と靴下を脱ごうとした。その時、ベルナデッタの耳には、ふいに突風が吹いた
様な音が聞こえたが、まわりを見ても木々は少しも揺れてなかった。

気のせいかと思い、再び靴下を脱ごうしていると、またさっきと同じ突風が吹いたような
音が聞こえたので、彼女は、今度はマサビエルの洞窟の方に目をやってみた。

すると一部の木々だけが強い突風に煽られたように揺れており、マサビエルの
洞窟から現れたと思われる金色の雲にまばゆいばかりの光が射していた。
目をこらしてよく見ると、その光の中には、これまでに見たこともないような美しい女性が立っていた。

その女性は、水色の帯を白いドレスの上に着けており、頭から白いベールを被り、手に白い玉と
金の鎖のロザリオを持っていた。足は裸足のままで、足首には黄色い薔薇をつけていた。


「その姿は、まさしく聖母マリアそのものであった。」

次の瞬間、ベルナデッタはポケットのロザリオを出して一心に祈りを捧げた。
聖母マリアが自分に向かって手招きしているのが見えたが、ベルナデッタは
その場に釘付けになったまま見ているだけだった。しばらくすると、聖母マリアと
そのまわりを照らしていた光は突然消えてなくなった。

ベルナデッタは一緒に薪拾いに来ていた2人に自分の体験を話したが、2人とも
「ベルナデッタがひざまずいていたのは見たけど、マリア様の姿なんてどこにも見えなかった」と言った。
ところが、この2月11日以来、聖母マリアは何度もベルナデッタの前に姿を現した。
最後の出現の日となる7月16日のまでの出現回数は、なんと合計18回にも及ぶという。


「マサビエルの洞窟に白い貴婦人が現れた!」

その噂はたちまち広がり、初めて聖母マリアが現れた日から14日後の
2月25日には、見物人は8000人にまで増えていた。

そうして迎えた9回目の聖母出現の日 ― 白い貴婦人はベルナデッタに
「泉の水を飲み、その水で洗いなさい。」と言った。言うとおりの場所をベルナデッタが
掘ってみたところ、そこから水がどんどん湧き出てきて泉になった。

泉のそばに住む眼病を患った青年がこの泉の水で顔を洗ってみると
数日後に彼の目は元通りに治った。またどうしても治まらない腕の痛みを訴えていた老女が
泉の水に腕をつけると、嘘のように痛みが消えた。


当初、白い貴婦人を見たというベルナデッタの話は
教会関係者をはじめとする多くの人々から疑惑の目で見られた。

だが、ベルナデッタが、「白い貴婦人は、ご自分のことを“無原罪の御宿り”であるとお教え下さった。」
と村人に告げてから人々は少しずつベルナデッタの聖母マリアの話を信じるようになった。

“無原罪の御宿り”とは、1854年に教皇ピオ9世によってカトリックの信仰箇条として
宣言されたばかりの教会用語であった。

無学なベルナデッタがそのような教会用語を知るはずがなく、彼女が
言葉の意味を理解していなかったことからも、聖母マリアが本当に現れて
ベルナデッタに名乗ったものであると信じられた。結局、ベルナデッタの語ったその言葉が
白い貴婦人は聖母マリアであり、聖母出現が本物であったことを示す決定的な証拠とされたのだ。

1862年1月18日、司教区調査委員会による2年に渡る調査結果
現地司教は、ルルドのマサビエルの洞窟の聖母出現を公的に認める教書を発布した。

 


線維筋痛症-ルルドの泉